考えるより動いてみる(2) マネックス証券社長 清明祐子さん

1977年、大阪府寝屋川市生まれ。地元の中学では、部活動でバスケットボールに打ち込んだ。

バスケでは大阪府の中学選抜チームの候補にも選ばれました。でも「受験に差し障るし、そっちの道に行きたいわけではないんで」と参加を断りました。仲間には驚かれました。

バスケ部では副部長でした。リーダー格として目立つものの、周囲を引っ張るタイプではなく、どちらかというと参謀タイプでした。生徒会でも会長にはなりませんでした。サポーターの方が向いていると、ずっと自認しています。

マネックス証券の社長となった今、創業者で会長の松本大からは「いろんなリーダーシップがある」と言ってもらっています。チームをどう運営するかは、答えを探している最中です。

進学校として知られる大阪教育大付属高校天王寺校舎から1年の浪人を経て、京都大学に進んだ。

中学時代は多様な友達に囲まれていて、「ヤンキー」と呼ばれる必ずしも素行の良くない人たちもいました。彼らは今でも、キャリアや出世競争みたいなものを意識せずに会える、気の置けない友達です。

高校に入るとお金持ちやブランド品を持つ子が多くて、合わせないとついていけないなと感じていました。一種のカルチャーショックです。バスケ部にも所属しましたが、練習よりも友達づくりと割り切って、アルバイトにいそしんでいました。

京大に入ると再び、いろんな人がいる多様な環境に戻りました。場所が変われば、見える風景もがらりと変わります。学生時代のそうした経験から「前に進まないと何も見えない」と考えるようになりました。

自分で考えて計画し、それにもとづいて努力する性格でした。何時からこの科目を勉強し、次はこの科目と決めたら、必ずその通り実行する。「勉強しろ」と言われると、すねて絶対にやりませんでした。

高校時代の後半と浪人時代には独り立ちするため、実家を出て大阪・難波の祖父母の家に住み込みました。一方で勉強ばかりは嫌だから、浪人時代には朝7時からプールで泳いだ後、予備校に通う変わった生活をしていました。

自立心の強さは家庭教育のたまものだった。

会社員だった父親の方針は「ルールは決めない、なぜなら破りたくなるから」。門限はなく「自分で考えて暗くなれば帰ってきなさい。何かあっても助けにはいきません。責任は自分でとりなさい」というスタンスでした。でも心配はしていたようで、中学時代に遊び歩いて帰宅すると、父親はカップラーメンを食べるふりをして待っていました。

母親はにぎやかで明るい性格です。営業の仕事をしていて、「うちの子の場合は……」なんて子供をネタに仕事をとっていました。「人を先に嫌いとか思ったら損をする。とにかく明るく笑いなさい」と言われ続けました。良いところを見つけて近づき、かわいがってもらった方が得だ、と。人生の幅が広がる考え方だと思います。

投稿者: 瑚心すくい

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