旅館を憧れの仕事に(2) 結婚

陣屋女将 宮崎知子さん

1977年、東京都杉並区のサラリーマン家庭に生まれた。昭和女子大の付属中学から大学に進学。一般職としてリース会社に入った。

 

「女子校でやっていけるのか」。勉強より運動が好きで、小学校の先生が心配するような子供でした。短大の国語科に入ったのですが、途中で「もう2年勉強しようかな」と4年制の史学科に編入しました。ゼミでは文化財保存の研究をして、学芸員の資格を取りました。

アルバイトはたくさんしました。一番長く続いたのは地元のパン屋さん。レジ打ちから品出し、新人教育までやりました。売り上げを上げるのも楽しかったです。将来、経営者になろうとは思いもしませんでしたが。

卒業の年はいわゆる就職氷河期で、就活ではより好みしていられません。「女子大の文系」というだけで不利です。とにかく一般事務で女子を募集しているところを探して、40社近くエントリーしました。

入社したリース会社では営業のアシスタントをしました。仕事は楽しかったです。1年目の秋には担当企業を持つようになりました。仕事を振られると、「それくらいだったらできますよ」と引き受けているうちに、どんどん担当が広がりました。

2006年にホンダのエンジニアだった富夫さんと結婚し、仕事を辞めた。

 

同い年の主人とは学生時代に知り合いました。付き合い始めたころ「実家が商売をしている」と聞きましたが、詳しくは知りません。箱根に遊びに行く途中、彼は「荷物を取ってくる」と陣屋に立ち寄りました。駐車場に入ってびっくり。「あなたの家って観光地みたいね」と言った記憶があります。

結婚のときも跡取りの話はありません。「妹が2人いるから自分が継ぐことはない」という話でした。主人はホンダで燃料電池のプロジェクトなどを任されていて、「このままホンダにいるんだろうな」と漠然と思っていました。

長男が生まれた後、義父ががんで亡くなりました。相続一切が済んだころ、長女を妊娠中だった私は切迫流産の危険から入院していました。病室に義母が訪ねてきて、こう言ったのです。「旅館がピンチなの」

借入金はいろいろ合わせて10億円あり、主人も連帯保証人になっていました。義母は最初、主人に跡を継がせようとは思っていなかったようです。あるホテルに経営権を譲る交渉をしましたが、リーマン・ショック後でまとまりませんでした。主人とは実の親子なので「なぜ借金がこんなになった」とけんかになってしまう。だから義母はまず私に話したんですね。

主人には電話で伝えました。「怒らないで聞いてほしい」。金額を伝えたところ、電話の向こうで開口一番、「ホンダの生涯賃金を超えている……」。主人の冷静な一言を聞いて、思わず笑ってしまいました。

サラリーマンでは無理でも、2人で力を合わせてきちんと商売をすれば、20年、30年かけて返済できるはず。跡を継ぐことを決断し、主人が社長、私が女将として陣屋に入社しました。

投稿者: 瑚心すくい

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